YouTubeアカウントを登録した
写真も独自に登録できる。
動画も公開、URLを知っているひとだけ、閲覧できるひとを指定と3種類
自分用だけの備忘にも使えそう
一分以下のビデオクリップはショートに分類される
歴史系のビデオクリップをひとつ公開でアップしてみた
https://www.youtube.com/watch?v=vrPb5Xqv8bs
NaRanong物語

二代目の許心美 คอซิมบี้ ณ ระนอง (1857-1916) もまた大いに活躍した。南部各県の知事を歴任し、マレーシアから門外不出であったゴムの木の種を持ち帰りタイの天然ゴム産業をおこした。タイ国王から多くの官位・欽錫名を賜り名家としての地位をかためてもいる。
ラノーン県はインド洋アンダマン海沿いのタイで その最北端に位置する。その一帯はクラ地峡 isthmus of kra の名前で知られる。目の前は数キロの内湾をへだててミャンマー最南端の町 KohSong がある半島を眺めることができ、舟で渡河するようにいくこともできるようである。
KohSongは旧名 Victoria Point 大英帝国が第一次英緬戦争 First Anglo-Burmese War (1824-1826)で最初に獲得したミャンマー領土のひとつ。コータウン、コートンとも表記される。Union of Myanmar Kawthaung
百度百科 https://baike.baidu.com/item/许泗漳/2556040
回向文
「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」
『妙法蓮華経』巻第三「化城喩品第七」 鳩摩羅什訳
願わくば此の功徳をもって あまねく一切に及ぼし 共に仏道を成せんことを
「共成仏道」あなたも私も共に仏道を成し遂げましょう
という積極的な願いをこめた願文
ヨガのサハナーババトゥ Sahana vavatu は これに似ているが
シャンティへの願いをこめている点で浄土宗系の回向文に似る
Om Sahana vavatu
Sahanau Bhunaktu
Saha Veryam Karavavahai
Tejasvi navadhetamastu
Maa vid vishavahai
Om Shanti Shanti Shantih
私たちが守られますように
私たちが栄養を頂くことが出来ますように
私たちが元気に働くことが出来ますように
私たちの学びが輝かしいものでありますように
私たちが互いに争うことがありませんように
平安なれ 平安なれ 平安なれ
浄土宗系の回向文は、従来のものを他力本願に反するとして書き換えた。
善導 観無量寿経疏 帰三宝偈 末尾
「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」
追記
消去した記事をGoogleのサーバーに保存されていたキャッシュから修復加筆しました
光り輝く天使の都
当然のように「帝釈天の網」を省略して「帝網」と書いていますが、インド名そのままに因陀羅網 インドラの網ともいいます。
バンコクのの長い名前の後ろのほうには「帝釈天が技巧神に命じておつくりになった」というような由緒も書かれています。
悪口文化
今回は韓国語
満州系をいう되놈 ⇔ 왜놈 倭奴 ウェノム
되 doe は 대 dae 大の古語?
北方の大きい奴 南方の小さい奴?
blog.livedoor.jp/seoulkorea/archives/
中国系は 짱개 チャンケ
착짱죽짱 チャクチャン ジュクチャン 良中 死中
kaikai.ch/board/
禁句集
spintheearth.net/korean_ng_words/
華厳経 入法界品 第二十五 遊女
彼女は宝石で飾られた立派な椅子に座り、顔立ちは麗しく、身は純金の如く、目は仏様のように青い目を備え、比べるものも無いほど美しい姿をしていた。彼女の言葉は巧みで不思議な力と智慧を兼ね備え、多くの人に囲まれ、善根を修して後生に善い報いを受ける功徳を完成していた。善財童子は仏様に挨拶するように足を礼し、敬いの心で合掌して、聖なる人よ、私は菩提心を起こして菩薩は如何なる行を学び、如何なる道を修するかを知りません。どうかお教え下さい、と尋ねます。遊女は「私は既に欲を離れ、清浄な教えを身につけて完成している。私は神々に取っては天女であり、人にとっては遊女であり、神霊にとっては非人の女になる。そして、未だ様々な欲望に取り憑かれている人が私のところに来たならば、無着の境界と言う執着の無い精神統一を得させよう。私の声を聞き、私を抱擁するものには離欲を説き、解脱の境地に導くであろう」と応える。
華厳経 入法界品 ガンダヴューハ
第二十五 バスミトラ 婆須蜜多 Vasumitra
サンスクリットの原語は「バーガヴァティー」
これは釈尊を意味するバガヴァン。その言葉の女性形。最上級の尊敬語。
善男子よ。我れ已に離欲実際清浄の法門を成就せり。
若し衆生の我が手を執る者有らば、詣一切仏殺三昧を得ん。
若し衆生の我れを阿梨宜(抱擁)する者有らば、摂一切衆生三昧を得ん。
若有衆生。欲所纒者。来詣我所。為其説法皆悉離欲。得無著境界三昧。若有見我得歓喜三昧。若有衆生。与我語者。得無礙妙音三昧。若有衆生。執我手者。得詣一切仏刹三昧。若有衆生。共我宿者。得解脱光明三昧。若有衆生。目視我者。得寂静諸行三昧。若有衆生。見我頻申者。得壊散外道三昧。若有衆生。観察我者。得一切仏境界光明三昧。若有衆生。阿梨宜我者。得摂一切衆生三昧。若有衆生。阿衆※(「革+婢のつくり」、第4水準2-92-6)我者。得諸功徳密蔵三味
晋訳六十華厳
日常と目的の背反
チリやホコリを付けてはいけないのだ。
時時勤拂拭 莫使惹塵埃「常に勤めて拭払せよ 塵埃ひかしむること莫(なか)れ」
たしかに「本来無一物」ならば、究極はチリなど付くものはないはず。しかしホコリはつく。
日常の修行としての掃除は下座と呼ばれ、禅寺では掃除を ものすごく重んじている。
綺麗にすると、ささいな汚れが気になって、さらなる綺麗を求めてしまう。やりすぎてしまう。ここまでくるとエネルギーの無駄遣い。清浄の極みは、汚染の極みに転落することもある。
福島第一は、ものすごく掃除がいきとどいていたそうである。そんなエネルギーがあるなら、ダムでも作って緊急のときは水を流して冷却するぐらいのことを考えておくほうがよかった。 水が流れ込んできても発電が続くような防水型緊急発電装置も作れないことはなかったろうし、どんな状況でも動きそうな蒸気機関を残しておいてもよかった。
日常の修行を重んじて、修行の目的を忘れるのは日本の陋習の最たるものであって、苦行をすることが目的になってしまっている。
日常が目的に優先することは、本来あってはならないことであろう
厚生労働省と新型ウイルス
NHK NEWS WEB
日本の医療では保険が適用されないと治療も検査もできない。
それが国民皆保険制度のもとでの医療機関の宿命。
点数かせぎの不要な検査は山のようにやりながら、この緊急時にウイルス検査ができないとは国の恥というべき。来週中に保険が適用できるようにするとのことだがいかにも遅い。
巷では、これは日本の感染者数を少なく見せかけるための策略というひとも多々いるが、実際は昔からの規則墨守の伝統によるものであって、よく言えば法治主義、悪くいえば規則を守って規則の目的の実現を阻む思考回路の結果であろう。 規則にしたがう公務員は、規則を守っておれば、たとえそれが災難を招いても罰せられることはない。 反対に規則をはずれると確実に処罰される。
太平洋戦争の分水嶺 ミッドウェー海戦のとき、現場の最高司令官は規則を守って時間を浪費し、大敗北を招いた。それでも罰せられることなく、その後、中将から大将に昇進した。 今回、厚生労働大臣が同じような待遇を これから先受けないことを望む。
Waterfox
レガシー環境を好む人には好まれる。
64bit版のみで32bit版はない。
これをubuntu 18.04 にインストールした
tar.bz2 をダウンロードして tar -xvjf で解凍
./ を付ける、付けないの違いあり
tar -xvjf waterfox.tar.bz2
cd ./warterfox
./warterfox
Dockへの登録で行き詰まる
echo $PATH
ln -s 実体 リンク
権限なしと言われて sudo で実行
これで ターミナルから waterfox だけで起動するようになった
動画機能追加 sudo apt install ffmpeg
風の強さを視覚化する
earth.nullschool.net

これは東経136度、北緯35度を指定して見たもの
小さな丸が、その地点で滋賀県栗東あたり
台風の進路予測
予報するほうからいえば 「予測が外れた」との非難を避ける効果があるだろうが、非難がなくなれば、よりよい予報をしようという動機も減るように思われる。
米軍の予測にしても気象庁のデータが重んじられるようになり、ありがたみが薄れている。 予報円を見ているのと、変わりがない。
metoc.navy.mil

そのなかで中国の廈門気象台の予測は、予報円以前のコース予測に近い。 気象庁の予報円の中心をつないだ線との違いも存在する。 今回の台風でも室戸台風に近い進路予測というより伊勢湾台風に近い進路を予想していて気象庁の予測中心線より東寄り。
xmweather.cn/Typhoon

通り名唄 京都
烏丸以東、烏丸から堀川、堀川から千本の3つの領域に分け、それぞれを幾つかの通り名で区切っていく。
てらまち ごこう ふや とみ やなぎ
さかい たか あい ひがしに くるま
からすま りょうが むろ ころも
しん かま にし おがわ
あぶら さめがい ほりかわの水
よしや いの くろ おおみや まつ ひぐらしに
じょうふく せんぼん 果ては西陣
寺町、御幸町、麩屋町、富小路、柳馬場
堺町、高倉、間之町、東洞院、車屋町
烏丸、両替町、室町、衣棚
新町、釜座、西洞院、小川
油小路、醒ヶ井、堀川
葭屋町、猪熊、黒門、大宮、松屋町、日暮
智恵光院、浄福寺、千本
西陣

kyoto city official web より
東西に走る通り名唄は、丸太町から十条まである 五条通で上と下にわける
まるたけえびすに、おしおいけ あねさんろっかく、たこにしき. しあやぶったかまつまんごじょう
雪駄ちゃらちゃら魚の棚
六条三哲通り過ぎ
七条超えれば八九条
十条回ってとどめ指す
十条回って東寺着く
Win10 Edge
だからといって字を大きく設定すると大きくなり過ぎる。
IEのことを気にして書かれているサイトは多いが、それとの相性も悪い。
結局、Google Chrome のシェアが増えそう
FC2とレスポンシブデザイン
アメブロでは、できなかったレスポンシブ対応ができて満足
(^^)v
ところでFC2は、大手ブログサービスの中ではモバイルファーストへの対応が進んでいる。 レスポンシブ対応のテンプレートを選び、スマホテンプレートを「使わない」に設定するだけ。
上部に検索ボックスが表示されるときは、非表示にする必要がある。
未だに、多くのブログサービスでは、そのまま使うとケータイ用、スマホ用、パソコン用で異なるテンプレートが適用される。 今ではガラケーでネットをするひとは皆無に近いと思われるが、この三分割は健在である。
このブログのヘッダー画像は、こちら からダウンロードしました
le guide culinaire
エスコフィエ Escoffier が1902年に書いた本のなかにある言葉
温製オードブルについての章 SÉRIE DES HORS-D’ŒUVRE CHAUDS
導入部の一節で 、新しいレシピを考えることを鼓舞している。
Le Guide culinaire, aide-mémoire de cuisine pratique
日本についての英文ブログ
フォローすべきブログ 2018 という記事(英文)
ざっと見たところ、東京、東京、東京、・・・
日本は「東京、しかないのかっ」って思ってしまいますね。
小さな島の上に「東京」という大都市があって、あとはワイルダネス
原生林かアジアの農村 と思っているアメリカ人が多いのでしょうか。
もう少し多いかと思った京都在住も、ひとりだけでした。
日本人でも、英語でブログを書いている人は、ある程度いると思っていたけど、このリストをみるかぎり、20以上のベスト ブログ?のうち、日本人は料理ブログの作者ひとり。
もっとも日本人が英語で、日本についての風刺を書くのもいただけないので、これは外国の方にまかせておくのもいいかもしれない。
日本の城マニアのブログが、ふたつ。
ブロガーは圧倒的に米国人が多く、欧州、豪州がちらほら。
タイの英文ブログより、観光系が少なく、生活系が多いようにみえる。
竜王のメコン
Paul Adirexの小説
Paul Adirex はタイの政治家であり小説家。最初から英語で小説を書く。タイ語版は、翻訳家が英語から翻訳する。
私が買ったのは Mekong 初版1995の第3版 1999年の英語版。長らく棚にあったのを、ようやく部分的に読んだ。検索してみると「竜王のメコン河」という名前で日本語訳も出ていた。
話は、メコン河の竜王(ナーガ)伝説をタテ糸に14世紀から20世紀にまでまたがり、ランサーン王国やヨーノックの伝説もちりばめられている。
冒頭に出てくるのはファーグム王 (Fa Ngum) ランサーン王国の初代国王。ただし、作者はタイ人なので、タイ語らしく王国の名前をランチャーンと記述している。
Fa Ngum, founder of Lan Chang. the eldest grandson of Praya Kampong, the former ruler of the city of Chiang Tong in northern Laos.
シェントーンというのは、当時サワーと呼ばれていたルアンパバーンを中心に形成された連合国家のようである。
彼は自分が建てた王国を追放される。北タイ ナーン川流域を支配する王に支援されて、王位を取り戻そうと行軍する姿(1373)が最初に出てくる。 彼は王位の回復に失敗、ナーンで生涯を終わる。
King Samsanthai, Fa Ngum's son, ruled Lan Chang for forty-three years and died at the age of sixty. He was the longest reigning monarch in Laotian history.
王の名前、サムセンタイとは30万のタイ族(ここではラオ族)を意味する。彼は離反するチェンセーンを支配下に引き戻し、王国に安寧をもたらした。
第2章は、16世紀のセタティラート王。 王はルアンパバーンとチェンマイ両王家の血を引き、二つの王国の王を兼ねた。 ヴィエンチャンを首都にした王でもある。
首都の公式名はチャンタブリ「紫檀の柵のある町 ヴィエン・タイ・マイ・チャン」
King Settatirat of the Kingdom of Lan Chang and Lan Na. the eldest son of King Potisarn of Lan Chang and Yod Kam Thip, the daughter of the King of Lan Na. When the King of Lan Na died in 1546, leaving no male heir, Settatirat was chosen to succeed his grandfather. In 1548 when his father died, Settatirat also became the King of Lan Chang.
チェンマイ王国 ケット・クラウ王(1525-1535)の王女 ヨート・カムティップを王妃に迎えたランサーン王国 ポーティサラ王の長男がセタティラート王。ラオスの桃源郷 プーリが登場する。
Laotian history mentions only that King Settatirat of Lan Chang disapeared while returning to Vientiane after his army was defeated by Burmese.
第3章はフランス人の冒険家 Jean Dupree 舞台はチェンセーン(1792)。ヨーノックの伝説が語られる。
About two thousand years ago a Thai king came from the southern part of China and founded a kingdom called Yonok. Its capital city was near the present site of Chiang Saen. The Yonok kingdom lasted several hundred years until one day its king caught a gigantic pure white eel from the Mekong and fed his people with its meat. That night the whole city of Yonok sank into the earth.
伝説を無視した Dupreeは、メコンの竜と戦って死ぬ。
これ以降の話は、20世紀になり、様々な筋が入り乱れて進行する。
Facebook Page のこと
facebookのページはプライベート(個人)とビジネスに判然とわかれている。つながない限り、デフォルトでは、お互いにたどることはできない。
個人ページは、ひとつしか作ることはできないが、ビジネス用のページは、いくつでも作れる。記事のひとつひとつを宣伝することも簡単にできる。但し、効果的にビジネスを宣伝できるページをつくることは至難。つくっただけで放置しておくと「何かせよ」とうるさく言ってくる。
作ってはみたものの、これから先、何らかのネットワークの中に位置付けないと、見る人もないまま終わりそう。解説書を読んでみても具体的に何をすべきかわからない。
今のところ、つくってはみたものの何の役にも立っていない。
おそらくホームページを整え、それが動き始めてから、そのサイトを宣伝するようにすべきなのだろう
伊賀国からみた初期大和朝廷の内側
大和朝廷成立期の伝説に登場する大彦命 オオヒコは伊賀一ノ宮 敢国神社の主祭神であり、近くにある三重県最大級の古墳は社伝によれば命の陵墓ということは最近まで知りませんでした。伊賀の歴史をさかのぼり続けて、行きついた武人なのですが、初期の大和朝廷を分析するキーパーソンともいうべき存在でした。
彼は初期大和朝廷の軍人 四道将軍の一人として北陸を経由して東北地方の会津まで遠征したとの伝承を残します。後の世の阿倍比羅夫が日本海沿いに艦隊をひきいて北海道や樺太まで遠征したと記録されるのに似ていますが、この阿倍氏もオオヒコの後裔。武人の家柄は健在です。
オオヒコの親の世代、つまり天皇家としての祖父の子供たちには箸墓古墳の主という伝承を持ち、卑弥呼説も根強い百襲姫や桃太郎のモデルといわれる吉備津彦がいます。
同世代では弟が開化天皇。天皇家の当主は弟にまかせて、自分は地の果てまで遠征にでかけたとなるとアレキサンダーのような趣すらあります。
子供の代になると、息子に、やはり四道将軍のひとりとして東海道を進軍した伝説を持つ武渟川別 タケヌナカワワケがいますし、娘に御間城姫 ミマキヒメがいて、その夫 御間城入彦 ミマキイリヒコが次の天皇であり、ハツクニシラス(建国者)の称号まで持つ祟神天皇。 名前だけ見ると、まるで娘のところにやってきた婿殿が建国天皇です。
このミマキイリヒコは騎馬民族大和征服説で非常に有名になりました。
時代は下って大阪府に大古墳が造営されるようになる五世紀、埼玉県に稲荷山古墳が築かれます。この古墳から出土した鉄剣に上祖の名としてきざまれていた意冨比[土危]は、おそらくオオヒコでありましょう。
大彦命の母方は物部氏と関係が深く、軍人としての大彦は軍事氏族であった物部の血を多く受け継いでいたのかもしれません。
オオヒコを祖とする氏族は書紀によると7つ。阿倍、膳(かしわで)、阿閉(伊賀国阿拝郡)、狭狭城山君(南近江)、筑紫国造、越国造、伊賀臣。
青い目の志士
私は見なかったのだが、満島真之介の主演で、正月にアーネスト・サトウをあつかったドラマがあったような。
満島真之介は、TBS火曜ドラマ カルテットでチェリスト世吹すずめを演じた満島ひかりの弟。彼らは沖縄出身でwikipediaによると祖父がフランス系米国人。
アーネスト・サトウはイギリスの外交官で、日本について膨大な量の日記を残した人。幕末から明治にかけての時期と、日清日露戦争の頃の二回、日本に駐在した。日本滞在は通算25年に及ぶ。幕末は通訳官、最後は特命全権大使として来日した。大英帝国の枢密院にも所属。
彼の父親はソルブ人。 彼らは、ドイツのエルベ川以東に住むスラブ系原住民で、東ドイツの地名のかなりのものがソルブ語であるという。北海道の地名が多くアイヌ語であるのと似る。サトウ家の国籍は英国になる前はスエーデンであったという。
アーネストは大学を出てすぐ、大英帝国の外務省に採用された。イングランドの貴族出身者の独占状態だった外務省の中で昇進をかさね、殊勲により貴族の称号も得た。地中海を発祥とする騎士団の上級団員でもある。
幕末の日本に来る前に中国で漢字を勉強し、後には、すぐれた書道家として知られるようになった。
彼は征夷大将軍が、日本の位階の中では4番目(雛人形の段のなかでは下から2段目)の低さであることを早くから意識していて英国と天皇家の距離を近づけようとしていたようだ。 彼が英字紙に書いた論考を和訳した英国策論は、明治維新の設計図ともいうべきもので多くの大名がこれを読んだと伝えられる。
アーネストは19才で日本に来たあと、非常に短時間で日本語に熟達し、諸藩の実力者たちと接触した。 勝海舟と西郷隆盛の双方と対面して親しく個人的なコンタクトを取ることができた人物としては、ほぼ唯一の存在であり、江戸城総攻撃が最後のところで回避された裏で活躍したというのが、冒頭にあげた正月ドラマの筋書きです。
Sir Ernest Mason Satow was a British diplomat and one of the major figures who engineered the downfall of Tokugawa shogunate. He was born between Sorbian father and english mother. He was originally a Swedish national.
He entered the Foreign Office of British empire after graduating a university in London and went to China to study Kanji and then came to Japan in 1862 at the age of 19. He learned japanese very quickly and later known as a master calligrapher.
He established the close relationship with rebels against the shogunate. His activities were the forerunner of Anglo-Japanese alliance.
It seems he worked hard to preserve Tokyo during the civil war between Kyoto and Tokyo (1868-1869). it helped the metropolis from destruction.
After serving in Thailand and China, he returned to Japan as Envoy Extraordinary and Minister Plenipotentiary in 1895. He was also holding the title of GCMG( Knight Grand Cross of the Order of St Michael and St George).
the photo is from wikipedia.
近代ヨガの創始
近代ヨーガの開祖といわれるクリシュナマチャリアは、南インドのカルナータカ州で1888年誕生。アイアンガー師の義兄にあたる。織田信長のような激しい気性の持ち主であったと伝わる。サンスクリットの学者の家に生まれ、インド六派哲学を学んだのち、ヒマラヤのカイラス山麓に赴いてラーマ モーハン ブラフマチャーリー ヨーギーに師事し、数多くのアーサナ(体位)やプラーナーヤーマ(呼吸法)を学び、ハタ ヨーガに精通した。ヨーガの医療的な面についても身につけ、ヨーガ コルンタの口承を受けた。
マイソール王家の支持を得てヨガ スクールを開き、貴族の子弟に西洋の体操を取り入れた形式でヨガを教えた。この新しい様式をミーマンサー哲学の用語をつかって「ヴィンヤサ クラマ」と命名した。当時、曲芸のようなものと一般大衆に思われていたヨーガのイメージを回復したとも言える。3人の娘たちをはじめ、女性にも積極的にヨガを奨めた。
1930年代、王の宮廷の庭で王族にヨーガを披露する無声映画が残っている。後ろで結跏趺坐で座っている青年たちの姿は修行時代の釈迦にも通じる。
字幕は「ヨガは、心を病んだひと、家庭が不和で家を出たひとがするものだと当時思われていた」との発言の一部
彼は、藩王のヨガ スクールが1950年に閉鎖されたあと、チェンナイ(マドラス)に住み、1989年に101歳で亡くなるまでヨーガの個人指導を続けた。
生涯にわたり、自分はヨーガの「師」ではなく、学び続けている「生徒」であると述べていた。
アシュタンガ ヨガのパタビジョイスは直弟子の筆頭格。






